「そんなにあなたは機械になりたいの?」今求められている “集中力” の正体とは【大竹稽】
大竹稽「脱力の哲学」2
◾️「誰よりも早く成果を出せ」という競争に煽られる人たち
『センス・オブ・ワンダー』の扉には、「彼女が願っていたように、この本をロジャーにおくる 《She also intended a dedication, and so: This book is for Roger.》」の辞が捧げられています。
ロジャーは、レイチェルの姪の息子です。彼は幼少期より、レイチェルの別荘に頻繁に遊びにきていたようです。ロジャーへの辞が示しているように、『センス・オブ・ワンダー』の主たる読み手は、親と子どもです。この本に描かれているのは、世界への子どもたちの素直な感覚、そしてレイチェルの感動です。
「ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸におりて行きました。
海辺には大きな波の音がとどろき渡り、白い波頭がさけび声をあげては崩れ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。
そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされて、いっしょに笑い声をあげていました」
多くの現代っ子たちはテレビやゲームやユーチューブ動画に集中していることでしょう。しかし、それは「センス・オブ・ワンダー」とは程遠いもの。それらに没してしまうだけ、身体と世界の触れ合いに鈍感になってしまいます。
資本主義は、「誰よりも早く成果を出せ」なんて競争を煽ります。「遅れても自己責任だ」とプレッシャーをかけてきます。その結果、本来、競争や生産性とは無縁であるはずの子どもたちの遊びにまで、それらが持ち込まれてしまうのは、なんとも皮肉なことです。
新潮文庫版の『センス・オブ・ワンダー』には、四人の著名人による「私のセンス・オブ・ワンダー」が加えられています。その一人である、福岡伸一先生が、「きみに教えてくれたこと」で、このように解説しています。
「大人になると、生物は苦労が多くなる。そこにあるのは闘争、攻撃、防御、警戒といった待ったなしの生存競争である。対して、子どもに許されていることはなんだろう? 遊びである。闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、それが子どもの特権である。つまり、生産性よりも常に遊びが優先されてよい特権的な期間が子ども時代だ」
元来、「遊び」は生産性や有用性と無縁でした。だからこそ、「センス・オブ・ワンダー」が臨機応変に発動していたのでしょう。しかし、遊びも資本主義によって侵されてしまいました。資本主義では、「速く・高く・多く・遠く」が崇め奉られます。
大人たちは、必然的に「闘争・攻撃・防御・警戒」に駆り立てられます。こんな大人たちに取り囲まれてしまった子どもたち。こんな大人たちが導く子どもたち。レイチェルが警告しているように、反省すべきは、だれよりもまず、わたしたち大人なのではないでしょうか。